日本文化に欠かせない!竹のもつ内面的な魅力を語る

突然ですが皆さん、「竹」好きですか?

古都・京都など歴史的な街並みを散策していると必ず目につく竹垣。

日本の文化的なものや伝統味のあるものには必ずと行っていいほど竹の存在が付きものです。

その反面、現代の私たちの生活からは竹の姿がほとんど消え去りました。

日本人と竹の付き合いは縄文時代後期には始まっていたといわれます。そのころから竹かごを編んで生活に利用していました。

それが戦後の経済成長と共に影を潜めていき、今では安価で簡単に手に入る化学製品にその座を奪われています。

縄文時代後期から戦後の経済成長までがおよそ3000年。

戦後の経済成長から現代までがおよそ50年。

3000年間続いてきた竹との家族づきあいをこの僅か50年で断ち切ってしまった我ら日本人。

無限の可能性を秘めていた竹やぶも、今では放置され荒れ果て厄介者扱いされている有様です。

竹に限らず長い歴史をもつ日本文化のほとんどを置き去りにしてきた私たちは、まるで現代は仮初めの浮世を生きているような感じさえしてきます。

いや、「仮初め」や「浮世」は日本文化の特徴を表すいい言葉ですが、仮初めの仮に対する真が、浮世の浮いた足の着地点が、この50年ほどで異物にすげ替えられてしまった感が否めません。

果たしてこのままでいいのでしょうか。確かに生活は便利で快適になりましたが、この心にぽっかり空いた空洞はなんなのでしょうか・・・。

中身が空洞の竹

空洞といえば、竹は中身が空っぽです。

かぐや姫が入っていたように、丈夫な幹の内側はぽっかりと空いた虚(うつ)なのです。

竹は松竹梅と称されるように、お正月に飾る縁起物としても知られています。門松は本来松が主役ですが、竹が主役といってもいいくらい目立ちますね。

どうやら竹が縁起がいいとされる由縁は、中身が空っぽということにも関係があるようです。

それは古代の日本人が、竹の空洞になにか神聖な畏れを感じてきたからです。

あれ程早く丈夫に成長する竹なのに、中身はなにもない。きっと一種の不気味さを伴う不思議な感覚が巻き起こったのでしょう。

その空洞には神が宿るとされ、かぐや姫の話ができたのも納得がいきます。

竹は中身が空っぽだからこそ加工がしやすく身近な存在になり、また精神面においても日本人と竹は波長の合う間柄だったのでしょう。

日本の中空構造

この考えに確信を持たせてくれたのが「中空構造日本の深層」という本でした。

心理学者の河合隼雄氏が1982年に出版した本で、日本という国の本質は空っぽだという、なんとも衝撃的で面白い本です。

確かに日本文化には中身が空っぽのものが多い。

例えば神社の最深部である本殿にはなにも祀られていないというケースはよくあることです。

伊勢神宮の本殿にも心御柱があるだけですし、しかも神様は去来するもの、常にそこにはいません。

日本人の自然観にしても、古来「自然」という語を「おのずから」と読んだように、西欧のように自然において意味や本質を求めることなく、ただ自ずから存在するものとして見ていたことも中空構造と関係あるでしょう。

人間の心の捉え方にしても、西欧はとことん理詰めで解き明かしていくのに対し、日本人は和歌に託すなど本来的な心を追及する姿勢が希薄で、仏道修行においては心そのものを否定する方向にさえ向かいました。

あまつさえ日本という国のシステムである天皇制も、中空構造といえるのではないでしょうか。

天皇はいつも国の中心にいながら実質的な権力を振るわず、その周辺の貴族や武士たちが国を動かしてきました。

では天皇が力をもつとどうなるか。第二次世界大戦時には軍部の暴走により昭和天皇が日本軍の大元帥に仕立て上げられた訳ですが、その結果は言うまでもありません。

日本には世界に類を見ない平安の350年、江戸の250年という平和な時代がありましたが、これは天皇という国の中心でありながら空の存在がいたからこそだと思います。

私はこれらの事例と竹との連関を考えずにはいられません。

日本文化そのものを体現したような竹という存在。それは私たち日本人の誇りとして、受け継いでいかなくてはならないものだと思います。

 

ちょっと脱線しがちでしたが、竹の内面的な魅力を感じてくれたでしょうか。

竹や日本文化特有のなにもないからこそ感じる間の文化。それこそがこれからの世界を豊かにしてくれるものだと私は本気で思っています。

竹と共にあった3000年の歴史が、再び紡ぎ出されることを願うばかりです。

記事・・・飛田亮

弘匠塾~石組研修の様子~

先日、弊社にて行われた石組研修の様子をお伝えしていきます。

整地

 

石組み庭園の舞台となるのは、弊社の土場の一画。

我らが親方、会長の頭にある自然味溢れる風景の一コマが果たしてどんな形でこの土場に体現されていくのか。

会長の手となり足となり動く私たちに過る一抹の不安と責任感。

そしてそれらをはるかに上回る期待と喜びを感じながら、ひたすら土場を整地していきます。

今回の研修に参加していただいたのは15名程の方々。皆で整地したのであっという間にきれいになりました!

位置だし

会長が今朝数十分で描いたという、風流な一大絵巻物と見紛う図面をみながら、会長自ら景石や流れの形をマーキングしています。

どうやら大まかに滝石組と流れ、蹲踞をつくるみたいです。

ピンクのマーキングは盛り土する箇所。

中央の流れの部分を深く掘り下げ、出た土で周りにいくつか築山をつくっていきます。

さあ、ここからユンボのターン!

掘削・盛り土

ユンボで流れの部分を掘り進めていきます。

掘るものと築山を成形するものとで分かれて作業。

土が濡れているのは、土が乾いていると扱いずらいので濡らして固めやすくしています。

だんだんと庭の地形ができてきて、その全貌が明るみになってきました。

土のアンジュレーションだけでこれ程までに場の動きが出せるものなのかと感心してしまいました。

滝石組

ある程度地形ができたところで、いよいよ石を据えていきます。

まずはこの庭の主役といっても過言ではない滝石組からです。

ユンボの動線の関係で、予定とは異なる場所に滝石組をつくることになりました。

想定外の事象をものともしない臨機応変な柔軟な判断は、底知れない経験値から導き出されたものでしょう。さすが会長です。

倒れそうで倒れない、動きのある石組が滝石組のポイントなのだそう。

金八先生じゃないですけど、「人」の字の様に石と石とが重ね合わさる点の力の均衡が、この滝石組からはじりじりと力強く感じられます。

よく石の向きや形が空間に作用する力を「気勢」といいますが、このじりじりとした芯を揺さぶる地響きのような力は「気響」とでもいえましょうか。

楽器で例えるなら気勢がギターで、気響がベース。

この2つの音色が奏でる心地いいハーモニーが、会長の石組の真骨頂だと私は勝手に思っています。

流れ蹲踞

ある程度滝石組ができたところで、次はつくばいをつくっていきます。

つくばいはつくばいでも、流れのつくばいです。

水の流れの中に手水鉢があることを想定して石を据えていきます。

つくばいは庭の中でも実用性の高いところなので、実際に屈んで使いやすい位置に据え付けます。

また、手水鉢の中に実際水を入れ、水の溢れる向きを微調整していきます。

手燭石と湯桶石も据え付け、流れ蹲踞の完成です。

灯籠・飛び石・仕上げ

中くらいの石を3つ合わせていますが、これは灯籠を据え付ける土台です。

飛び石も着々と据えられていき、岬灯籠も置かれました。

岬灯籠は桂離宮にあるものが有名で、池を海に、岬灯籠は海を照らす灯台に見立てられて据えられています。

滝石組の周りにも景石が据えられ、更に迫力のある石組になっていきます。

最後に切石を据え、仕上げに全体を慣らして完成です。

切石を据えたことでアクセントになり、より自然石の野趣感や石組の力が強まりました。

完成

最初の写真の土場とはまるで見違えるよう。同じ空間とは到底思えません。

会長の底知れない凄さを垣間見ることができ、自ずから恐悦至極の域に達っすることを禁じ得ませんでした。

今回の研修で学んだことは大きく3つ。

まずは土の効果的な使い方。

庭づくりにおいて土盛りが最も安価でありながらダイナミックな演出ができることを身をもって知りました。

そして今回の目玉、景石や石組の据え方。

状況や目的によって据え方は異なり、中でも動きのある石組について学ぶことができました。

そして思想的な面では、近ごろ考えていた日本庭園における石の重要性についての答えを導き出してくれました。

日本庭園の3大要素とは木、水、石だといわれますが、木や植物だけ植えてあってもそれは樹木園や花壇に他ならないし、水だけが流れていてもそれはビオトープや噴水で日本庭園ではありません。

しかし、石や土さえあれば日本庭園はつくれてしまう。

というかそれこそが日本庭園の特色だということは石以外を排した枯山水の庭で歴史が証明していますね。

石とは日本庭園の中核をなす骨格であり、石が無ければ日本庭園とはいえないとまでいえるでしょう。

日本庭園の伝統は石と共にある。それはこれから先どんな庭がつくられようとも変わることのない鉄の掟ならぬ石の掟なのだと思います。

 

以上、石組講習の様子をお伝えしました。

弘匠塾、まだまだ塾生募集中ですので気になった方はぜひ近江庭園までご連絡くださいませ。

記事・・・飛田亮

庭師とめぐる庭めぐり~松花堂つばき展&京都一の桜の名所・原谷苑~

3月の末日、丁度サクラが見頃の頃、京都へお花見に行ってまいりました。

訪れたのは以前も記事にした松花堂と、京都一サクラが美しいといわれる原谷苑。

今回はこの2つの庭めぐりをレポートしていきます。

松花堂つばき展

まず訪れたのは松花堂。

松花堂の詳しい説明は以前の記事で書いたので省きます。

この時松花堂ではつばき展が開催されており、それを目当てにきました。

つばき展開催中の園内は、様々な品種のツバキの花と竹細工で彩られます。

花の様に見える、竹を編んだつくっている竹細工。

簡素ながらも一工夫が施された竹細工たちは、全てシルバーさんの手づくりだそうです。

以前訪れたときは古くなっていた扇垣は、ピカピカの青竹に新調されていました。

全くシルバーさんの自由な発想力には脱帽です。

切る、組む、並べる、曲げる、編む。竹の特性を活かしたユニークな竹細工たち。

よく見ると粗がありますが、それがまた楽しんでつくっている感がでていて逆にいいです。

現代の庭師よりもよっぽど庭師っぽいことしているなあと少し羨ましくも思いました。

見事に咲いたシダレザクラの下にもおもしろい竹細工がありました。

建物内には、ツバキの品種が並べられていたり、ツバキを使った生け花やアート作品が展示されていました。

これらのアート作品はシルバーさんではなくその道のプロの方々が出展しています。

 

お茶を点てる茶筅のような形をした竹細工もありました。

以上、松花堂つばき展でした。

このつばき展、というかシルバーさんからはたくさんのことを学ばせてもらいました。

ここは私にとってなぜ自分が庭師になったのかを問いただしてくれる場であり、単純に花の美や竹の技を楽しむと同時に庭師としての焦燥感を覚えさせてくれました。

これに習って、私が毎週管理させて頂いている庭では水鉢にツバキを飾るようにしています。

松花堂つばき展から学んだ最も実践的なことは、「園内のものを無駄にせず最大限効果的に使うおもてなしの心」。これに尽きます。

シルバーさんと競う訳じゃないですが、見せられてばかりではやっぱり悔しいので今まで私がつくってきた竹細工たちをちらっと載せて終わりにします。

原谷苑

原谷苑は京都市内の北、金閣寺よりも更に山を北に越えたところにあります。

近年一般公開されたそうで、噂がどんどん広がり今では京都随一の桜が楽しめる場所として知られるようになりました。

園内には数百本の桜の木が植わり、桜以外にも様々な花木で埋め尽くされているのでまさに百花繚乱の桃源郷。

ツツジとシャクナゲの交配種、吉野ツツジ

アセビ

レンギョウ

ユキヤナギ

ヤマブキ

シャクナゲ

ミツマタ

モミジも植わっているので、見どころは桜だけでなく秋には紅葉も楽しめます。

ただ、庭の骨格となる石が一切見当たらず、庭園ではなくあくまで農園、さくら園なのでご注意を。

ただ単に満開のサクラの下でお花見を楽しむのには最高のスポットだと思います。

その代わり入苑料はお高く、アクセスが悪く、人も混雑しています。

それでもサクラを楽しみたいという方には、ぜひおすすめしたい場所です。

 

記事・・・飛田亮

庭師とめぐる庭めぐり~竹と椿の名勝・松花堂庭園【後編】~

前回に引き続き、京都府八幡市にある松花堂庭園をレポートしていきます。

松花堂庭園に行ってみた【後編】

梅隠につづき2つ目の庭園茶室「松隠」です。

梅隠よりも格式高い感じがしました。

松隠の前にある蹲踞の周りには背の高いダイスギがたくさん植わっていました。

ダイスギの歴史は室町時代にまで遡り、京都・北山で生まれました。

関東育ちの私としては初めてダイスギを目にしたときはこんなスギもあるのかと衝撃を受けたものですが、京都の庭には欠かせない存在です。

そばにはちょっとした梅園があり、紅白のウメがきれいに咲いていました。

しかし、梅園の中に一本だけ気になる存在が・・・。

素知らぬ顔で「ウメモドキ」が紛れ込んでいました。

ウメモドキはウメとは違いモチノキ科の植物で、葉や花の形がウメに似ていることから名付けられたとされています。

ウメの中にウメモドキを植えたユーモアに感服です。

年季の入った枝折り戸。

先日枝折り戸の作成に挑戦したばかりだったので、自然と注目してしまいます。

朽ちかけでも充分風情がありました。

錠前の箍(たが)はツルを編んでつくられていました。

編み方が少し難しいため竹でつくっているところは少なくなっていると聞いたことがありますが、本当なのかもしれません。

3つ目の庭園茶室「竹隠」です。庭園茶室は園内に3つ、「松竹梅」でおめでたいですね。

竹隠の周りにはその名の通り様々な種類のタケやササが植えられています。

なかでも竹の中で最も美しいとされる「キンメイモウソウチク」が植わっていて驚きました。

モウソウチクの突然変異で、西日本に数か所しか発見されていない希少な種です。

綺麗なものだと金色と緑色の市松模様を描くといわれています。

寒竹あやめ垣。

萩小松明垣。

萩穂垣。

袖垣の種類も豊富で、見ていて飽きません。

茶室の入り口には竹の節を用いて優美な連峰が描かれていました。

こういうのを見たときに、日本文化の素晴らしさを実感します。

ホウオウチクの生垣。

ホウオウチクはガーデンポーターでも商品として扱っていますが、生垣になっているものは初めて目にしました。

奥の背の低い竹垣は金閣寺垣です。

少し進んだところにある芝生広場には、大きなシダレザクラがありました。

満開の時期にもう一度来てみたいものですね。

足元には面白い竹垣があるのも注目です。

光悦寺垣に似た竹垣で、2つ並んでいるからか看板には「双竜垣」と書かれていました。

カーブの美しさが引き立つ竹垣で、思わず間を通りたくなりますね。ちなみに奥はトイレです。

園内には竹でつくられた案内がいくつもあり、ぶら下げたものが風で飛ばないよう小枝を刺すなど工夫してありました。

こういう細かなところにもセンスが光ります。

椿園に向かう途中、桂離宮で有名な桂垣がありましたが、看板には「昭乗垣」と書いてありました。

どうやら竹穂の並べ方が松花堂庭園オリジナルのものだそうです。

こちらが椿園。

まだちょっとだけ時期が早かったのですが、いくつか咲いていて十分楽しめました。

中には一見ツバキには思えない珍しい品種のものもありました。

草庵茶室・松花堂のある内園に進んでいきます。

薄べったい変わった形の石灯を発見しました。思わず顔がほころびます。

藤棚かと思いきや、絡んでいるのはフジではなくムベでした。

竹垣に使われていたツルも、もしかしたらフジではなくムベのツルかもしれませんね。

こちらが草庵茶室・松花堂。

竹の網代張り天井に描かれた太陽と鳳凰が印象的でした。

松花堂の前にはナギが数本植わっていました。

日本庭園で目にするのは珍しく、庭木仕立てになっていたのが新鮮でした。

ちなみに松花堂の躙り口の側には可愛らしいハート形の窓があります。

実はこれ、ハートではなく「猪目(いのめ)」という伝統的な文様なんです。

時折神社やお寺でも目にすることがありますが、魔除けの意味が込められているそうです。

 

以上、松花堂庭園を紹介してきました。

行った後から知ったのですが、松花堂庭園では毎年春につばき展なるものを開催しているようで、その期間は園内が美しい椿や竹細工で装飾されるそうです。

今年2018年のつばき展は3/30~4/1なので、気になった方はこの期間に訪れることをおすすめします。

すっかり松花堂庭園のファンになってしまった私もつばき展を見に再度赴く予定ですので、またその時は記事にしたいと思います。

ちなみに庭園の隣にある松花堂美術館では、きれいな昭乗垣をじっくりとみることができるのでおすすめです。

記事・・・飛田亮

庭師とめぐる庭めぐり~竹と椿の名勝・松花堂庭園【前編】~

先日、京都府八幡市にある松花堂庭園に行ってきたのでレポートしていきます。

松花堂庭園は江戸時代初期の僧侶で、当時の文化人たちの中心的存在でもあった松花堂昭乗(しょうじょう)にゆかりのある庭園です。

園内には様々な種類の竹や椿が植栽され、「史跡 松花堂」など文化財のみどころもたくさん。

京都には名だたる名園たちが勢揃いで、私も数々の庭を見て回ってきましたがこの松花堂庭園にはかなりの感銘を受けました。

京都市内からもそれほど遠くないので、京都観光に来た際にはぜひおすすめしたい松花堂庭園を紹介していきます。

松花堂庭園に行ってみた

やってきました松花堂庭園。

京都駅から車で2~30分程の距離にあります。

庭園受付の建物にはあまりみられない仕上げ方の塗り壁が。

これは短冊形が幾重に折り重なっているように見える「スパニッシュ仕上げ」です。

日本庭園にスパニッシュ。これはなかなか斬新でおもしろい試みですね。

ガッチガチの伝統文化に固執しない、ユニークな心もちの方が管理してらっしゃるようで好感度アップです。

!?

入園してすぐ目に入ってくる光景。

美しい庭園であることは間違いないのですが、それ以上に気になってやまないのが謎の竹のオブジェ。

一目散に駆け寄り、思わず感嘆の声をあげる私。

これは創作垣でしょうか。綺麗な扇形をしているので扇垣とでもいうのでしょうか。

このユニークな発想、そしてそれをこんな格式高い名勝庭園でやってしまうダイナミックさに度肝を抜かれました。

すごいぞ松花堂庭園。

照明の足元には竹を使った小洒落た工夫がなされています。

園内にはこのように様々な種類の竹垣や竹細工が庭園美をよりいっそう惹き立て楽しませてくれます。

また、ここは竹の植物園だっけ?と見紛うほどに多種多様なタケが植えられており、竹マニアにはたまらない様相を呈しています。

例えばまず最初に出迎えてくれるのがこのホウライチク。

どういうわけか根っこの塊が地表に隆起し、生命力溢れる力強い姿に。

園内にはこのようなマニア垂涎ものの竹たちが出迎えてくれるのです。

さて、入園してすぐ右手からずーっと奥まで竹林が続き、それを横目にしばらく散策していきます。

黒く照り輝き、すらーっと細い幹が美しいクロチク林。

こちらは亀甲状の節が独特な雰囲気を醸し出すキッコウチク林。

様々な種類の竹林を見ながら歩いているだけでも飽きません。

竹の結界は、竹の枝部分を切らずにうまく使ってつくられていました。

素材の良さを最大限に使うものづくりの素晴らしさを、結界一つから教わるとは思いもよりませんでした。

ここでちょっと面白いものを発見。

わかりますか?ヒントは岩の上です。

なんと岩の小さなくぼみからマツの幼木が育っているではありませんか。

初めつくりものかと思いましたが本物です。

どうやって生えたのか、なぜ元気に育っているのか不思議で仕方ありません。

園路の左手には池泉が流れ、コイが優雅に泳いでいました。

コイをいたわる様に池の中にも竹をうまく活用していたのが印象的でした。

池泉の水を逃がすオーバーフローだと思いますが、コイが万が一落ちていってしまわないように竹の柵が設けられていました。優しい。

これは何故池泉に井戸ぶたが?と思いましたが、コイの隠れ家になっていました。優しい。

ひょっこり顔を出すコイたちが可愛らしく、コイの魅力をより引き出すアイテムとしても機能していました。

奥の方まで進むと、少し雰囲気が変わって茶室が見えてきました。

茶室の前にちょっと苔タイム。

庭園茶室「梅隠」。

茶室の前ではウメの花がちらほらと咲いていました。

茶室の袖垣には、萩の枝でつくられた光悦寺垣。

下地は丁寧に竹でつくられていて感動。

組子の結びにはシュロ縄ではなくツルが使われていました。

洋風の庭にも合いそうなナチュラルな垣根です。

茶室の周りにはツバキや、

アセビなどの花木が植えられています。

アセビは紅白で並んで植えられていました。

綺麗に苔むした手水鉢。

実は水琴窟になっており、地面に刺さった竹筒に耳を傾けると水滴の音が響きます。

一滴の水音で大海を、森羅万象を想起させるまことに日本的な仕掛けですね。

枯山水もそうですが、私たちの自然を求めてやまない根源的欲求が庭園においても水の要素を欲するのは必然だったでしょう。

しかしそれをここまで美的に表現した先代の発想に感服しますし、同時に現代の庭師としての焦りも覚えます。

茶室の裏手には丁寧につくられた建仁寺垣や竹穂垣がありました。

あまり人目の付きそうのないところでもぬかりない仕事ぶり。

延べ段も美しくつくられていました。

かなり裏手にあったタラヨウの木。

タラヨウの葉裏を強くなぞると変色し文字が書けるので「ハガキ」の語源となった木とも言われています。

こんな裏手まで散策に来るのはなかなかの庭園好き、植物好きだからでしょうか、葉っぱにはメッセージがたくさん書かれていました。

しかし、中には普通にペンで書いてあるものもあっておもしろかったです。

 

続きはまた来週、後編にてお送りします。

記事・・・飛田亮

枝折り戸をつくりました

突然ですが皆さん、枝折り戸ってご存知ですか?

主に竹や木の枝を用いてつくる簡素な扉のことで、日本庭園内や露地・茶庭に設置されています。

庭において和の風情を醸し出す竹の構造物。その代表的なものといえば竹垣でしょうが、この枝折り戸も竹垣と同じくらい和の庭には欠かせない存在です。

そして竹垣同様、現代の私たちの生活の中では姿を消しているものでもあります。

手軽に安く済む塩ビ製の商品も流通していますし、今の庭師のなかでも枝折り戸をちゃんと一から自分の手で作れる職人は少ないでしょう。

でもそれじゃまずいと思うんです。

実際つくれる人間がやむを得ない理由で既成の商品で済ますのは良しとして、つくった経験のないものが既成のもので済ますのは職人の名折れでしょう。

どんどん廃れていく伝統技術。まだ微かに残り香としてある日本人としてのアイデンティティすら喪失してしまえば、私たちは世界になにを誇り語れるのでしょうか。

日本文化と自然を愛する身として、職業としてそれらに携わる身として、そんなプライドと危機意識をもって枝折り戸の作成に挑戦してみました。

枝折り戸をつくってみた

まずは枝折り戸の枠の部分をつくっていきます。

使うのはこの5本の細竹。

竹と竹を組み合わせる箇所に穴を空けます。

ドリルと小刀を使って最小限の大きさの穴を空けました。

穴の大きさの微調整が難しいですが、スポッと入ると気持ちいいですね。

枠組み完成です!

次は竹を割って削いでひご状にし、編みこんでいきます。

まずは対角線でバッテンに交差する筋交いを入れます。

丈夫にするために、編み込む竹皮よりも少し厚めのものにします。

竹枠に少し切れ込みを入れ、筋交いを入れ込みました。

下の木の台は、竹枠を立てて作業しやすくする作業台です。

格子状に編み込み、シュロ縄で交差したところを結んでいけば完成です。

細かい所で失敗してしまった箇所がいくつかありますが、初めてにしてはなんとか形になったと思います。

上の写真で枝折り戸にかかっている竹の輪っかは箍(たが)。

「たがが外れる」なんて言葉がありますが、そのたがのことです。

和樽にハマっているものをよく目にしますが、枝折り戸では錠前の役割を果たします。

日本庭園の枝折り戸を見に行くと針金の輪っかやロープなどで代用していることがありますが、たがも姿を消してしまった日本文化のひとつですね。

これからも日本の伝統技術を一つ一つ覚え自分のものとし、現代の要求に合わせ昇華させる力を身につけていきたいです。

記事・・・飛田亮

枝折り戸作成中・・・

庭において和の風情を醸し出す竹素材の構造物たち。

その代表といえばやはり竹垣でしょうか。

しかし只今私、竹垣よりも竹細工的な要素の強い枝折り戸の作成に挑戦中です。

果たしてうまく作れたのか、来週のブログにてお知らせできればと思います。

日本の伝統文化が根底に流れる竹の仕事は楽しいです。

記事・・・飛田亮

なぜ雪の日本庭園は美しいのか?雪化粧を愛でる日本人の3つの美意識

冬の風物詩の一つである、雪の降り積もった日本庭園。

いつもの庭園とはまた違った一面を見せてくれる雪の庭は、私たちの心を惹きつけてやみません。

それは何故か。

もちろん純白の雪化粧が美しいからなのですが、細かく分析していくとそれは日本人独特の感性が起因しているといえます。

今回は、雪の日本庭園を目にしたとき湧き上がる日本人の美意識について考察していきます。

自然が人の作為を覆うとき

言はずもがな、庭とは人がつくるものです。

日本の庭はかつての利休の時代には「市中の山居」と形容されたように、深山幽谷の大自然の景を凝縮し模したもの。

しかし、いくら模倣しようともあくまで人の手によってつくられるものなので「自然風」の域を超えることは難しい。

だからこそ、そこには強い自然への憧憬が込められてきました。

しかし雪が降り積もることによって、あちこちに見え隠れしていた人の作為が覆い隠される。

雪という自然現象の力によって、作為は消え去り純真無垢なありのままの景に生まれ変わるのです。

それはありのままの自然と共生したいと願い続けてきた日本人の悲願が成就された瞬間と言えるかもしれません。

色を失った水墨山水の世界

墨の濃淡と余白のみで構成される水墨山水の世界。

鎌倉時代、禅と共に日本に伝わった山水画は禅宗の興隆とともに次第に日本化していき、枯山水の石庭がつくられるきっかけにもなる伝統芸能への道を辿っていきました。

雪の降り積もった日本庭園はまさに幽玄な山水画の世界そのもの。

そこには白と黒の冷え寂びた風景が広がるばかりです。

そんなリアルな山水の世界に浸っていると、日本人の美意識の底流に流れる禅的な美意識が研ぎ澄まされていきます。

侘び寂びや枯れ、やつしといった引き算の美意識は禅文化から沸き起こったもの。

現代の物質社会では感じるいとまのないそれらの美意識が甦り、人生において忘れてしまいがちな大切なことを教えてくれます。

型が崩れ表出する「かわいい」

日本の美意識のうち、現代の暮らしにもっとも息づいているものの一つは「かわいい」という感覚かもしれません。

やたらとかわいいと口にしたがる私たちですが、そのルーツを辿ると平安時代の「をかし」や「もののあはれ」に見ることができます。

かわいいとは不足の美。どこかが足りていない、その隙間に感じる趣や面白さに私たち日本人はとても敏感にできています。

そんなかわいさが、雪となって日本庭園に舞い落ちる。

日本庭園といえばどちらかというと格式高い、厳かな雰囲気がありますよね。

恐らく迫力のある石組みや石灯篭などの添景物のおかげかと思いますが、それらに雪が積もるとどうなるか。

まるで白いふかふかの帽子を被っているようで、どんなに厳めしい表情の石もかわいく見えてきてしまうわけです。

普段とは違うギャップ萌えにも近しい、かわいいもの好き日本人のお眼鏡にかなった様相を繰り広げてくれるのです。

 

以上、雪の日本庭園に対する日本人の美意識について考察してみました。

他にも、枯山水や神社の神域を表す白砂の空間。あのイメージを雪の庭園に重ねて神聖で清廉とした空間に感じるから、といったようなことも考えられます。

なにはともあれ、雪化粧の庭ほど美しいものはありません。

是非皆さんもこの冬、雪景色の庭園にて思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。

記事・・・飛田亮

なぜ日本人は独自の自然観を抱くようになったか。それを探る3つの事柄

自然が大好き!と心から口にできるのは現代の日本人には少ないかもしれませんが、古くは自然と共生することを大切にしてきたといいます。

植物好きの皆さんでしたら少なからず自然や地球環境への意識は人並み以上にあるかと思いますが、日本人の自然観の根元について深く考えたことはおありでしょうか。

なぜ日本人は四季の移ろいを愛で、万葉の歌を詠み、植物に囲まれて過ごすようになったのか。

伝統芸能や年間の行事を見ていくと、そこには必ずといっていいほど植物や自然の要素が溶け込んでいます。

そしてそれは戦後大きく変容してしまった現代日本でも、時折その片鱗を垣間見ることができます。

今年最後の記事ということで、この頃わりと私的に研究していた日本人の自然観についてちょっとだけまとめていきます。

・「天然の無常」ということ

「諸行無常」という言葉がありますが、日本人の心の底流には無常観が脈々と受け継がれています。

この無常観は仏教の教えの一つで、その意味は文字通り、物事は千変万化し常に同じものなどなにもないということ。

仏教はインドで生まれ、中国や東南アジアを経て日本に伝来してきたわけですが、この無常観が今もなお色濃く残っている国は日本をおいて他にないでしょう。

なぜこれほどまでに無常感が日本人の心に定着したのか、これにはなにか秘密がありそうです。

戦前の物理学者・寺田寅彦氏の著作「日本人の自然観」によれば、仏教が伝わるずっと前から、日本人には「天然の無常」なるものがあったといいます。

これには日本独特の気候や地理的要因が深く関わっており、成るべくして出来上がった感覚なのだそう。

台風や地震が頻繁に起こり、気候の変化が激しい日本では自然を支配するなどという考えは毛頭浮かばず、成すがまま、諦めに近い感覚で自然に畏怖し時には感謝し暮らしてきた。

その反面気候が穏やかな西欧では、自然を支配するキリスト教などの一神教が生まれてきました。

海外から日本の魅力を問われて、「四季の美しさ」と答えるのも良いですが、畏怖すべき天災の存在が表裏一体としてあり、それこそが日本文化を形成してきたことも忘れてはならないですね。

およそ人智の及ばない、絶対的ともいえる幸福感を与えてくれる自然の美しさ。

天災という負の側面にはどうも目を背けがちですが、もっと付き合い方を変えるべきではないかというのが私の今後の研究課題です。

・No!引きこもり。

日本神話の話です。

神話の中でも有名な天岩戸隠れの話ですが、太陽神・アマテラスはスサノヲの数々の蛮行を前にショックで岩の洞窟の中に閉じこもってしまいます。

太陽神が隠れてしまったため世界は暗黒に包まれ悪いことが起こり、八百万の神々が作戦を練りなんとかアマテラスを洞窟から引っ張り出すというものですが、この話には日本人の自然観や死生観の本質が潜んでいるように思えてなりません。

古来より木を用いた木造住宅に住み、石室や古墳など石で造られた建造物は墓としてきた日本人。

海外では人の住まう石造りの建造物はたくさんありますが、日本人にとってそれは死の世界なのです。

木造住宅といえども外部から完全に隔てるつくりではなく、限りなく開放的です。

垣根や仕切りも竹や紙など極めて有機的で脆く、突破しようと思えば突破できるものが多い。あとは受け手の善意に委ねられている簡素なつくりです。

土間や軒下なんて外部なのか内部なのかわからないあやふやな空間も日本独自のものですね。

少し話は変わりますが、開放的だった日本を象徴するような話です。

中野 明氏の著作「裸はいつから恥ずかしくなったか―日本人の羞恥心」という本の中で、江戸時代まで混浴はごく自然なもので、人目に付く玄関先で裸で水浴びしたり、銭湯から家まで全裸で公道を歩いて帰ることも当たり前だったという記述がありました。もちろん男女問わず。

今では想像もつきませんが、その頃は裸に対する羞恥心やエロスがなかったようですね。

これを読んで、江戸時代までの日本はえらく開放的で、集団主義で、今の個人主義ならぬ利己主義な社会とはまるで違うと思いました。

欧米型の資本主義を丸々受け入れ、風土に合わない誤った個人主義が定着してしまった日本。

今の引きこもり問題は、戦後ブレにブレた日本が引き起こした大きな問題の一つです。

・鎮守の森の本質とは

神社といえば鳥居と、立派な社(やしろ)と、忘れてはならないのが森です。

あの社を取り囲むような森のことを鎮守の森といいます。

高層ビルが乱立する都内でも、小規模ながら神社に付随する鎮守の森の緑がぽつんと残されていることがありますが、あれはなんなのか。

なにか祟りがありそうで怖くて切れず残されてきただけかもしれませんが、まあそれこそが神が宿るというアニミズムの自然観なのですが、それはありふれた話なので置いときます。

神社の中で最も格式高い伊勢神宮では、20年に一回式年遷宮といってお宮を建て替えますが、実は古来神社というのはとても仮設的な存在で祭りにむけて毎年建て替えるのが普通でした。

あくまでも神が去来するその場こそが重要だったわけです。社が社(もり)と読めるのもそういう訳があったんですね。

古来の日本人がいかに自然を崇め、大切にしてきたかがわかります。

また、注連縄を張り巡らした磐座や神籬、ご神木が、日本人の「間(ま)」に対する感覚を研ぎ澄ました要因だと思います。

 

以上、日本人の自然観について書いてきました。

でもこんなこと現代の暮らしに必要ないし・・・と思われる方もいるかもしれません。

しかし日本人の自然観は死生観にもそのまま直結するのが面白いところ。

土着の自然観を学び考えることは、現代を生きる哲学を育むことでもあります。

自然が蔑ろにされがちな現代では、なにか危機に直面したときの心の空白を埋める寄り処がなく、絶望に瀕し自殺に追いやられるケースも数多く見受けられます。

今一度日本の自然観の本質を見極め、その中で生きる自らを自覚し、生きる意味を見出すのが現代の日本人には必要なことではないでしょうか。

来年はより、そんな年にしていけたらいいです。良いお年を。

記者・・・飛田亮

苔論~日本人がコケ好きな理由を本気で考えてみた~

突然ですが皆さん、「苔」好きですか?

心洗われるほど色鮮やかな見た目、しっとりふかふかの優しい感触、踏まれても地べたに繁茂する健気さ、そして飽きのこない個性豊かなバリエーション。

苔の魅力を語りだせばそれはもう無尽蔵に出てくることは皆さんも周知の事実。

道端に雑草同様生活する身近な存在でありながら日本庭園に取り入れられ、国歌には「苔のむすまで~」と歌われるもはや日本人の心ともいえる苔。

その人気ぶりは京都屈指の人気観光スポット「苔寺(西芳寺)」を見れば一目瞭然。

3,000円という高額な拝観料と事前予約制の厳しい条件にも関わらず、苔の美しさを求め連日たくさんの人が訪れています。

もちろん苔の人気は日本だけでは留まらず、毎年イギリスで開催される世界最大のガーデンショー「チェルシー・フラワーショー」では、苔を多用する日本人庭園デザイナーが金賞を何度も受賞。

その作風から「Moss Man(苔男)」という異名がつけられるほどです。

そんな海外からも絶大な人気を誇る苔ですが、その魅力にはもっと本能的ななにかがあると私は感じて止まないのです。

そこで今回は、苔のもつ内面的な魅力を浮き彫りにしていこうと思います。

 

全生物の祖先は苔?

苔の魅力を解き明かす心当たりは大きく2つ。

まず1つ目は単なる私の思いつきで、特に「日本人」に焦点を当てた内容ではないのでお手柔らかに。

動物界も植物界も、数え切れない程の種の生物が暮らしている地球。

ダーウィンの進化論によれば、地球上の全生物はそれぞれの環境に適して独自の進化を遂げ、その原点には共通の祖先があったと言われています。

では、果たしてその共通の祖先とはなにか。

それは30億年前の海中に生まれた細菌やアメーバ、そして光合成をする藻類だとされています。

そしてその藻類が進化し、地球上初の陸上生物として苔が生まれました。

そう考えると、私たちの祖先は苔だとも言えるわけですね!

母なる苔。父なる苔です。

色々とややこしいしがらみの多い人間社会の中で、ふと苔を目にしたときに「自然に回帰したい」という生物としての潜在的な欲求が湧き上がるのではないかと思います。

そして苔を触ったときのあの感じ。

しっとり湿って艶やかで、なんだかエロティシズムを感じませんか?

動物やら植物やらの垣根を超えた、生物としての本能に訴えかける母性的な魅力を孕んでいるのだと思います。

ちなみに誰がつけたかは知りませんが、苔の花言葉は「母性愛」だそうです。

日本人の美意識「侘び寂び」を体現する存在

2つ目は「日本人」に焦点を当てた内容なので、日本人がなぜ苔好きなのか納得いくと思います。

日本人は本来、「間(ま)」を好み、大事にする民族でした。

「間」とは言葉で説明しづらいものなのですが、実体がないゆえに空間でも時間でも人間関係でも、どんな形や次元でも現れることができます。

例えば2次元では山水画の余白に、3次元では枯山水の白砂に、時の流れが関わる4次元では能狂言や日本舞踊のストップ&モーションに。

日本の伝統芸能はそもそも「間」がないと成立しないんですね。

間取り、間合い、間抜け、間引く、昼間、合間、手間、隙間、空間、時間、人間。

意識してみると今使われている言葉にも、「間」という字はたくさん出てきますね。

明治の文明開花や第2次世界大戦を経て、喪服の色が白から黒に様変わりしたように世界がガラッと変わってしまった日本ですが、まだ「間」の名残を随所に垣間見ることができます。

それはホラー映画、アイドルや廃墟ブーム、「空気読め」や「かわいい」という言葉などですが苔の話から逸れてしまうのでここでは割愛することに。

 

さて、日本の美意識のひとつに「わびさび」があります。

これも感覚的なもので定義が難しいのですが、先ほどちょっと出た「4次元の間」と言い換えることができます。

侘び寂びとは時の流れを感じる「間」なのです。

例えば何年振りかに実家に帰省し、小さな子どもの頃よく遊んでいた埃かぶったおもちゃを手に取ったときのあの感じ。あれも侘び寂びといえるでしょう。

郷愁の念や英語のノスタルジーの感覚に近いですが、より時の流れを感じさせる要素が強いと侘び寂び感も高まります。

そしてそれを感じさせてくれるのが、古来より身近な存在の苔だったのです。

長い歳月をかけて繁茂し成長していく苔。それはもはや可視化された時の結晶といえるでしょう。

なので庭に取り入れると悠久の時が感じられ、歴史感や重み、そしてかわいさ移ろう歳月の儚さを覚えるのです。

日本人が苔好きな理由は「間」の文化がまだ息づいているからだと私は思っています。

苔の小話

この記事を書くにあたっておもしろい話を見つけたので紹介します。

 

コケは岩や地表が長く放置されたときに生え、耕すなどの攪乱(かくらん)が行われていると育たない、との認識がある。例えば「苔むす」という言葉はその状態が長く続いてきたことを示す。これは善悪両面の取り方があり、「転石苔むさず」は、「腰を落ち着けて長く一つのことを続けないと成果は上がらない」の意味に取るのが普通であるが、ときに「活動を続けている人は古びない」という意味に使われる。英語ではA Rolling Stone gathers No Mossで、イギリスでは前者の意味で使うが、アメリカでは後者の意味に使う。-wikipediaより引用

 

同じ苔でも、日本やイギリスでは良いものとして、アメリカでは悪いものとして認識されているのがおもしろいですね。

もちろんアメリカにも苔好きな人々がいるので一概には言えませんが、苔を愛でることは日本文化の継承といっても過言でないかもしれませんね。

逆にもし日本で誰も苔を愛でなくなったとき、それは日本文化の終焉を意味しているのかもしれません・・・。

 

以上、日本人が苔好きな理由について解き明かしてみました。

苔を愛でることは日本人としての大事なアイデンティティだと思うので、苔マニアの皆さんは自信をもって愛で続けてください!

記事・・・飛田亮